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【 『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第七回 】 [ノモンハン考]

 【 『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第七回 】

 ・・・戦後、60年が過ぎた・・・。
その、先の大戦、日本は敗北した。
司馬遼太郎は、その敗北の原因の根源を、<ノモンハン事件>における一連の流れに見た。
そして、ノモンハン事件もまた、その一連の経過の根源を、前年(1938年)の<張鼓峰事件>に見ることができよう。

思えば、歴史とは、何か起こったときの兆候を、その前史に由来できる。
世の中の事象、全て、それは例外なきこと・・・。
「突然変異」とても、過去に、その原因を見い出せよう。
・・・そして、反対のベクトルとして、未来からの、現在・過去への影響もある。
未来史が、過去の歴史の真実を解き明かすことも多々あるのである・・・。

▼≪ソビエトからモンゴル、粛清の伝播
         (ダンバ軍団長・ビンバー大尉 後編)≫

鎌倉英也氏は、「一九三九年二月一六日 ダンバ容疑者尋問書」を、モンゴル内務省の極秘文書に見つけている。

『・・・
 尋問者 「日本側にお前が伝えた情報はあるか?」
 ダンバ 「モンゴル軍の現情報、ハルハ河地域の軍配備増加情報、モンゴル国内で行なわれている反革命組織に対する粛清の拡大状況についてである」
 尋問者 「それは、どのようにして伝えたのか?」
 ダンバ 「ビンバー大尉に託して持たせたのである」
 尋問者 「誰の命令か?」
 ダンバ 「アモル首相の命令による」
 尋問者 「現在、お前が考えていることを述べよ」
 ダンバ 「チョイバルサンは殺人者である。我々は反革命の戦いを続行する必要がある。ソビエト軍及びモスクワの影響力を排除した、自由主義による力あふれたモンゴル民族統一を成し遂げなければならないと考えている。
                 ・・・』

ソビエト・モンゴル、そして日本・・・。三者の示した内容が重なり、それが歴史の真実であったことを証明するのだ。
ノモンハン事件前夜、ビンバー大尉の逃亡先・日本での証言は事実であり、関東軍首脳は、「怒涛の赤い波」が、まさに、満州に迫っていることを認識するのだった。

悪名高き、大陸の日本陸軍・関東軍の横暴の一つとして挙げられる『満ソ国境紛争処理要綱』が記されるのは、まさに、その二ヵ月後なのである。
その内容については、このシリーズの数回後に書くつもりだが、簡単に言えば、その悪名は「対ソ戦への、根拠のない自信に満ちた観念的好戦的内容」に由来する。
それを起案したのが、地獄と化したノモンハン事件、その元凶とされる辻政信関東軍参謀であった(辻参謀についても、このシリーズで、何度も語ることになる)。ただ、ここで言っておきたいのは、辻参謀は、「悪」でもなければ、「バカ」でもない、と言うことだ・・・。

逃亡してきたビンバー大尉の身を受け入れ、その二ヵ月後に記された『満ソ国境紛争処理要綱』。
それが書かれた意義の一つに、【防共の大義】があるのは歴然である。
ここを、鎌倉英也氏は、見て見ぬ振りしている・・・。

さて、「無意味な戦」と評されるノモンハン事件である。
多くの構成因子が、その「愚かさ」を示す。
だが、少なくとも、その「戦争の大義」に【防共の意志】があったことが分かろう。
私は、「愚か」とされるノモンハン事件における各所の日本人に、不当なるかな境遇からの脱出を手助けしたくこのシリーズを書いている。

多くの英霊たちが、理不尽なる思いをつのらせ、目の前の敵に討って出て、ホロンバイル草原に命を散らせた。
生き残った方々も、戦友のために、この戦争の不毛を語り続けている・・・。
だが、その戦争には真っ当な理由があったのである。
「愚か」の連鎖も、その「愚か」の一つでも覆せれば、全体から部分的「愚か」へと変わるのである。
絶対的「愚か」の近代史的具現化とされるノモンハンの大戦争の評価も、「不備の多々あった戦争」と言う解釈に変容するのです。

▼ダンバ軍団長は、その後、どうなったか? ・・・言わずもがなの大粛清のドットの一つとなっていったであろう。思えば、共産主義の末路には、一握りの権力者を頂点とするピラミッド型の「鉄壁の塊」が構築される。出る杭は打たれるし、追いつけない者は凍死する。
共産主義においては、個の集合体としてある結果の、一党独裁社会の継続の貫徹が第一命題とされる。その何千万分の一のドットの消去などは、全く意に介されることなく実行される。
それが、いつしか、自国をスポンジのようにスカスカにしていることに気付かないのだ。
ちょうど、産経新聞の石原慎太郎の連載『日本よ(10/3)』で、毛沢東の有名な逸話が紹介されていた。
元仏大統領のポンピドーが、毛沢東の中国共産党における軍拡政策に対し、「(アメリカと全面戦争するようなことになったら)膨大な数の国民が死ぬことになるぞ」と意見した時、毛沢東はこう答え、ポンピドーを絶句させたと言う。
【この国は人間の数が多すぎるので、二、三千万の人間が死んでも一向にかまわない】
・・・・・。

▽ダンバ軍団長は、こう語っていた。
『反ソ運動についての私の決意は強まる一方だ。我々はソ連の圧力から抜け出さねばならない。ひとたび私や仲間が反ソ運動に立ち上がったならば、救いの手が(日本側から)差しのべられることを私は確信している』

慧眼をもったダンバ軍団長だが、その主張を聞く我々は、最後で、切なさを感じるのだ。
後に悪名を轟かせる『満ソ国境紛争処理要綱』だが、その「過激」「強硬」とされる内容においても、<モンゴルの救済>までは念頭にないのである。
あくまでも、満ソ・満蒙国境を「防波堤」と見て、そこを死守することしか考えられていないのである。
モンゴル内の反ソ派が行動を起こしたとても、それは、静観されていただろう。
それが当時の日本の限界であった。
アジアの、「ダンバ的なる者」の意志を後押しすることになるのは、なかばヤケクソの『大東亜共栄圏』を待たねばならなかった。
果たして、先の大戦において日本は敗北するが、東南アジアの国々で、インドで、「ダンバ的なる者」の夢は達成される。

▼日本に逃亡したビンバー大尉は、その後、どうだったであろうか?
ちょうど、読み終えた津本陽の『八月の砲声 ノモンハンと辻政信(講談社)』にこんな一文があった。
これは、国境不確定地帯で頻繁に起こっていたノモンハンでの「小競り合い」、そのノモンハン事件に至るかなり大きい衝突の後の箇所・・・。

『・・・東支隊は、外蒙軍が撤退したので、五月十七日にハイラルへ帰還したが、歩兵第六十四連隊長山県武光大佐はただちに再出動を小松原師団長に希望した。
 ハルピン特務機関長秦彦三郎少将は、部下の近藤少佐を指揮官として、白系ロシア人の機関員シャドリン、元外蒙軍大尉参謀で逃亡してきたビンバー、日本人機関員数名によって現地視察を行わせた。
 近藤少佐らは、五月十六、十七両日にわたって現地を視察。十一日にハルハ河渡河点で越境してきた敵二百騎と満軍警備隊が交戦した現地で、外蒙兵二名の屍体を発見、埋葬し、ハルハ河畔に至ったが、敵の姿は見えず、帰還した。・・・』

小説ではあるが、この作品でビンバーの名が出る箇所はここだけである。おそらく、参考文献にその名が出てきたので記したのだろう。
つまり、ビンバー大尉は精力的に活動して(させられて?)いるのである。
津本陽氏は、戦国の織田信長物で有名な作家だが、用意周到な信長と比し、ノモンハンにおける関東軍の指揮官の準備(情報戦やら、作戦・戦略・戦術やら、兵站やら)の不備を嘆く。だが、こうして抜き出した一ヶ所の文章でも、それなりの諜報活動を行なっているのが窺える。
なお、ノモンハン事件のキーマン・辻政信の生い立ちについて、この津本陽の著作がよくまとまっているので、後に記すとき参考にする。

▼ノモンハン事件の最大激戦が行なわれた1939年8月・・・。
一通の手紙がアメリカ大統領ルーズベルトのもとに届いた。
アインシュタインからだった。
それには、ドイツで開発が進められている原爆の危険性の警告と、同時に、ヒトラー・ドイツに対し先手を打つよう、その開発の進言が記されていた。
その後、1945年8月・・・。
アメリカによって開発された原爆は、日本で使用される。
 【何故、日本で使用されたか・・・?】
多くの意見があるが、その意見の中の一つに、
 「戦後の共産主義勢力を牽制するため(防共)」
がある。
つまり、アメリカは、日本列島を「防波堤」と考え、原爆の惨事を引き起こし、ソ連の南下を防いだのだ。
日本軍は、ノモンハンのあるハルハ河国境を「防波堤」と考え、血みどろの戦いを繰り広げた。
ともに「共産主義」への恐怖を抱きつつの、日本とアメリカ、この違いは何なのだろう?

日本は、ノモンハンの結果、大いなる人的代償を支払わされた。
だが、アメリカは自らの手を血で汚すことなく、自国の為に、間接的な国を絶対焦土と化ししせしめるのである。
・・・「極左」と言う言葉は、「左翼の行き着く先」と言う意味に取られるが、それは間違いであろう。左翼国家・アメリカも、それはそれで完成された「究極の恐怖」なのである。

鎌倉英也氏は、当時マイノリティーであったモンゴル国の危難に同調するのもいいことだが、それを遠因として、日本批判を醸すのはやめて欲しい。
周りを見渡せば、理解のできない恐怖は、国外にこそ多く存在している。

(「国境の小競り合い」に続く 2005/10/06)


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天皇王権を盤石にするためには?

 島根県安来市に巨大な工場を構える日立金属が開発した新型冷間工具鋼 SLD-MAGIC(S-MAGIC)は微量な有機物の表面吸着により、金属では不可能といわれていた自己潤滑性能を実現した。この有機物の種類は広範囲で生物系から鉱物油に至る広い範囲で駆動するトライボケミカル反応を誘導する合金設計となっている。潤滑機械の設計思想を根本から変える革命的先端材料というものもある。
 このトライボケミカル反応にもノーベル物理学賞で有名になったグラフェン構造になるようになる機構らしいが応用化の速度にはインパクトがある。
by 天皇王権を盤石にするためには? (2013-01-01 20:34) 

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