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【 『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第四十七回 】 [ノモンハン考]

 【 『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第四十七回 】

▼『ノモンハンの戦い(シーシキン他著/田中克彦編訳 岩波現代文庫)』について・①

この文庫には、二つの文献が収められている。
先ずは表題作のソ連の軍人S・N・シーシキン大佐の1946年の論文である。
もう一つは、ノモンハン戦に従軍したソ連の作家コンスタンチン・シーモノフの回想記の抄訳である。
そして、更に、編訳者の田中克彦の、何とも言えない、『2ちゃんねる』風に言うと「芳ばしい」注釈が多量に付記される。

シーモノフについてはしばらく後に書くとして、これからは数回に分けて、シーシキン文書について書いていく。
シーモノフにおいて「従軍」と付したのには訳がある。
実は、このシーシキン大佐、従軍していないのである。
いや、別に従軍していなくても、戦争記録は書ける。
そして、『この書は防衛庁戦史室が刊行した、日本のいわば公式戦史にもたびたび言及される(田中克彦のまえがきより)』のも理解は出来る。
だが、その内容に、あまりにもの、客観的な間違いがあるのである。
それは、「従軍」していないからなのだろうか?
・・・それとも、「確信犯」なのか?

ノモンハン戦においては「敵」であったソ連である。
戦争への対峙国の言い分の相違ならば、違いがあってしょうがないのである。
その開戦理由の解釈や、戦争の目的、自国の戦争の正当化の理屈、それらが異なるのはいたしかたなかろう。
しかし、客観的事実・・・、地理学上の測量の結果としての数値、そのようなものまでも全くの虚偽を記しているのだから、困ってしまう。

その虚偽を、田中克彦の絶妙の注釈が、あたかも真っ当な記録であるかのように引き戻すのである。
先ほど引用した、田中の一文を今一度見て欲しい。
   『この書は防衛庁戦史室が刊行した、日本のいわば公式戦史にもたびたび言及される』
左翼人や、左翼的人格を持つ保守人の文章には、かような「レトリックのトリック」が駆使されるものだ。
よく考えて欲しい。
「日本の【いわば】、公式戦史」などと、日本側に対してややバカにするような書き方をしておいて(その具体的事例は後半に記すが)、大嘘の描かれている文書を「マンセー」し、その論文が、「日本のいわば、公式戦史」にも引用されているのだと、評価を高めようとするのである。
人は何故、時に、かようなレトリックを駆使してまで、自虐的行為にふけなくてはならないのか・・・。

▼シーシキン文書におけるノモンハン戦開戦意図の大義は、世紀の偽書<田中上奏文>に依拠する。
当時の田中義一総理大臣が、日本政府が全アジア征服を計画していることを昭和天皇に奉じたというものだ。
その、全アジア征服の最前線が、満蒙国境であったとされる。
日中戦争前中後の中国には、かような「怪文書」が飛び交っていた。
果たして、ソ連側が、その「田中メモランダム」を本物と認識していたのか、それとも、偽書と知りつつ共産勢力の拡大に都合がいいので利用したのか、その断定は今の私には出来ない。
しかし、それを当時、ソ連側が「本物」と認識し、日本に危機感を抱いたとしても、それは、まあ、私には理解できることだ。・・・と書くと、いや、一国の政府が、一枚の怪文書に惑わされるようなことはあってはならないことで、あり得ないことでもあり、これはソ連側が「偽書と分かってて、わざとに戦争に乗った」というどなたかの意見があっても、それも正しいと思う。

さて、田中克彦であるが、注釈において、『その日本語原文は今日に至るまで発見されないままであり、したがって、もともと存在しないものと推定される』と、なんかよそよそしい。
田中義一も、田中克彦も、「田中」姓であるのがややこしいが、その姓の冠してある文書は、どうも「偽」の匂いがします^^;

シーシキン文書は、
続いて、どうも人物の特定できない、「日本帝国主義軍閥」の一人であるハデザケさんが日本の新聞雑誌で、「専門家の一致した見解にしたがえば、ソ連への攻撃は満州からやるより外モンゴルからの方がうまくいくだろう」と証言したことを、日本の満蒙国境重視の姿勢の裏打ちとして書いている。
ソ連側の、日本東夷論をちょっと羅列する。
 ・モンゴル人民共和国への攻撃を、日本軍部はずっと前から準備していた。
 ・中国人民に対する戦争にてこずったため、モンゴルへの企みが延期されていただけ。
 ・故に、日本は、ソ連と全面的に戦うことはせず、モンゴル人民共和国が満州に楔のように突き出させている東方領土(ノモンハン辺り)においての限定的な戦争を意図していた。
 ・その東方領土の満州側の地域への輸送路のための新線を建設していた。
 ・日本はハイラルを要塞都市としていたが、モンゴル人民共和国の東方領土は、そこをソ連国境を前面としたときの背後から攻めるのに適していた。故に、日本軍部は、ハイラルの安全のためにその東方領土を手に入れたがっていた。
 ・前年(1938年)のハサン湖での大敗(張鼓峰事件)で失った面目を、日本軍は回復したかった(おいおい^^; あんたらのほうががもっと被害を受けているぞ)。
                       etc,etc...

ソ連側の考え方がよく分かり非常に面白い。
そんな風に、ソ連側が考えているのは、勝手なのである。
戦争の当事者が、自国の都合の言いようにあらゆることを解釈するのは、対峙国のこちらとて望むところである。
大陸や半島のように、日本国内での「解釈権」までもおろか、客観的事実までも誤認識して攻撃してくるというのは、ホント、厄介だ。
ましてや、我が国には、特有の自虐的な方々がいて、嘘をついてくる大陸や半島の方の言い分を認めてまで、「歴史の真実」を愚弄するのである。

ちょうど、『SAPIO(9/27号)』の『ゴーマニズム宣言』で、小林よしのりが言っている。
『中国・韓国の圧力よりも、むしろ国内のサヨク売国奴の圧力の方が、わしはもっと不愉快である』
私も、同感である。
ねえ? 田中克彦さん・・・。

▼読み進めていき、記述はノモンハン戦に進み、戦場となったハルハ河流域の地理を説明するのだった。
この戦場こそが、『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』のタイトルの由来なのであるが、
ハルハ側の西岸(ソ連・蒙古側)は高台となっており、東岸(日本・満州側)を見下ろせるような地形になっている。
・・・だが、読んでいると、何かおかしいのである。
『日本軍が攻撃に選んだ地域は、ソ・モ軍にとっては極めて不利であった。・・・(中略)・・・ハルハ側西方の、さえぎるものとてない平らな砂地は、軍隊の移動の際に自分の位置を知るのに困難であったが、そのかわり、河の東岸の砂丘からは、さえぎるものなく、よく観察できた』
???である。
客観的測量上の地形の認識が逆なのである。
こうまで、断言されると、私は、自分の東西認識が間違っているのかと思って、不安になり、何度も地図をにらんでしまった。
しかし、地図上の左は必ず西であり、右は東のはずである。
つまり、ノモンハンでの左は西で、そちらが高台であるのは、これはもう、絶対的に確かな事実であるのだが・・・。
うーん。
私は本を閉じて悩んでしまった。
誤植であろうか? それとも、誤訳であろうか?
・・・どうするどうなる!? 編訳(変訳)した田中克彦・・・。
             (続く 2006/09/11)


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