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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第六十四回】 [ノモンハン考]

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第六十四回】

▼ネット上から親しくなった友人・MUTIさんからメールを頂いた。

《 蘭さん、MUTIです。
 少し以前に、軍旗について書かれていましたね。

 昭和期の「軍旗」のもつ問題点と、辻政信についての問題を関連づけて考える発想は、大変おもしろい、と感じた次第です。

 これらは広く解釈すれば、「神格化」、「物神化」、「現人神化」、イデオロギー等の問題、ということになるのでしょう。

 が、この問題は、問題を分析・解釈することと、問題を解決することが全く別である点に真の問題があるように思われます。

 歴史や今の世の中を見ると、一つの文化や社会の中での「神格」、「物神」、「現人神」を否定した人や集団が、いつの間にか別の「神格」、「物神」、「現人神」を祭り上げている事例はいくらでもあるわけですから。

 以上、とりとめのないことをいろいろ思った次第です。

 さて、以下は、上記とはあまり関係のない物で、過去に私がニフティフォーラムに書いた文です。(ニフティでは、漢字名の「無知」を名乗っていました。)

 軍旗が戦術的に有意義だった最後の時代の外国軍の状況を、微かに伺えるのではないかと思います。
  http://bbs.com.nifty.com/mes/cf_wrentT_m/FDR_B012/wr_type=C/wr_page=17/wr_sq=FDR_B012_0000001290

 なお、ニフティフォーラムの終演に伴い、2007年6月28日(木)15:00で上記のリンク先もなくなる予定です。 》


 >>> 少し以前に、軍旗について書かれていましたね。

これですね。

 【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第六十一回】
 http://happytown.orahoo.com/midnight-run/html/H00220070430174635ab1075460.html

上記の「第六十一回」を書いて、二、三日後に読み直し、私は、「これだけ読むと、良心的な左翼人風な文章だなあ」と苦笑いしていたものなのです^^
私は、シンボルへの「神格化」「物神化」「現人神化」は全く否定していないのですけど、あの時は、私が「保守」として(私が「保守」であるかどうかは別問題^^;)、最も大事だと思っているものとしての【具体例に於けるバランス】を考えた結果、あの箇所においては、あのように記した次第です・・・。

 >>> 一つの文化や社会の中での「神格」、「物神」、「現人神」を否定した人や集団が、いつの間にか別の「神格」、「物神」、「現人神」を祭り上げている事例はいくらでもある

はい・・・。
例えば、西本願寺派の浄土真宗などが挙げられましょうか(参考:『「現人神」「国家神道」と言う幻想』新田均著 PHP社)。

▼(付録)
MUTIさんのニフティへの投稿は、6/28に消えてしまうそうなので、ここに転載しておきます^^

《 1290. 「インディアン・ヘッド(合衆国第2師団)」の満州人
             2005年06月29日(水) 21時01分 無知

 皆さん、こんにちは。無知です。

 こちらの朝鮮日報のページをご覧ください。

  http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/28/20050628000071.html

> 駐韓米2師団司令部の博物館に「ナチス戦利品」
>
>  京幾(キョンギ)道・議政府(ウィジョンブ)の駐韓米2師団司令部の中にある
> 博物館に、ナチス・ドイツ総統アドルフヒトラーから奪取した「戦利品」が
> 所蔵されているという事実が、最近になり明らかにされた。
>
>  27日付の米軍事専門紙「星条旗新聞(Stars and Stripes)」は、
> 「米2師団博物館には、米軍第506歩兵連隊が第2次世界大戦当時の1945年4月、
> アルプス・ベルヒテスガーデンにあるヒトラーの別荘イーグルス・ネスト
> (Eagle’s Nest)」を接収の際に入手した、形が登山用ピッケルに似た、
> ヒトラーの杖が所蔵されている」と報道した。
>
>  同博物館に展示されている酒杯「シンク・グレイル(Sink Grail)」もまた、
> ヒトラーの別荘から持ち出した戦利品で作ったもの」と星条旗新聞は報じた。
>
>  「シンク・グレイル」は、第506歩兵連隊の初代連隊長だった
> ロバート・F・シンク大佐を称えるため、その名前が付けられた。
> (グレイルは聖杯を意味する)
>
>  第506歩兵連隊に入隊する将校たちは、宣誓式で「シンク・グレイル」に
> 酒を注いで飲むのが伝統となっている。
>
>  「シンク・グレイル」の取っ手には、第2次世界大戦当時、第506歩兵連隊の
> 隊員たちがノルマンディー上陸作戦に投入される際に使用した予備パラシュートの
> 取っ手が用いられ、杯自体は「イーグルス・ネスト」の銀の器を溶かして
> 作られたものだ。
>
>  米2師団博物館の所蔵品には、アヘン戦争(1840-1842)当時、米9歩兵連隊が
> 清王朝を援護した功により清王朝から贈られた銀の鉢もある。
>
>  2師団博物館は最近、数100点に及ぶ所蔵品を米ロッキー山脈のふもとに位置する
> コロラド州フォートカーソン基地に移転する作業を準備している。
>
>  フォートカーソン基地には、昨年8月からイラクに配置されていた
> 2師団2旅団兵力が1年の任務を終え帰還する予定だ。

 米軍が、こういった戦利品の「博物館」を公開していないとは思えないので、この記事の冒頭の「最近になり明らかにされた。」というのは、「最近になり記者の知るところとなった。」の言い換え表現の様な気がしますが、それはさておき、明らかにおかしい記述があります。

>  米2師団博物館の所蔵品には、アヘン戦争(1840-1842)当時、米9歩兵連隊が
> 清王朝を援護した功により清王朝から贈られた銀の鉢もある。

 この記述によるなら、米合衆国が清国側にたってアヘン戦争に参加し、英国と戦ったことになります。第一次・第二次の両大戦までは、この両国、独立戦争=大陸の反乱や、ナポレオン戦争にともなう戦いの因縁で仲が悪かった訳ですが、いくら何でもそんなことはないわけで。

 これは、アヘン戦争でなく、義和団の乱から始まった北清事変の誤りです。

 合衆国陸軍第9歩兵連隊の歴史を記述するページ
  http://www.manchu.org/linage/page1.htm
 には、以下の記述があります。(誤訳箇所があったらご指摘ください。)

> 6か月後の1899年2月28日、連隊はフィリピン諸島での反乱鎮圧支援のため急派された。
> 連隊は、直ちにマニラに到着し、ルソン島の反乱者の排除のために分遣されて戦線に向かった。
> 数多くの(規模は)小さいが激しい戦闘の後、1900年6月15日には、
> Tarlac 州の司令官である Macabulos 将軍が降伏し、鎮圧が宣言された。
>
> 一方、チャイナでは暴動により、外国の高官および宣教師達(アメリカ人を含む)が
> 恐怖におののいていた。
> 第9歩兵連隊は、中国におけるアメリカの利権の保護のために選ばれた、
> たった2つのアメリカ軍部隊の内の一つである。
> Taku Barに上陸後、連隊はEmerson H. Liscum大佐の下、天津に向けて行軍を開始した。
> 1900年7月13日の朝は、連隊全体の記憶に深く刻まれる日となった。
> その日のおよそ0900時、 Liscum 大佐の側に立っていた
> 軍旗下士官のEdward Gorman軍曹は、激しい銃火によって重傷を負った。
> Liscum大佐は肩を撃たれたが、倒れ込む軍曹から騎士のごとく軍旗を奪い取り、
> 市壁への攻撃時、殺人的な銃火に直面しながら大胆にも軍旗を正面に保持し続けた。
> しばらくして、大佐は(自分の怪我が)致命傷であることを察してから、
> 部下に"Keep Up The Fire Men"と指示して戦死した。
> 連隊は、激しい横殴りの銃火によって釘付けにされ、一日中身動きがとれなくなった。
> 薄暮時になり、多国籍タスクフォースの英国人司令官、 Dorward 将軍によって
> 後退命令が出された。
> 攻撃は翌日再開され、日本の歩兵が市の門を突破し、天津市は陥落した。
>
>  連隊はYang-Tsunで別の戦闘に参加し、それから北京への突撃に参加した。
> 第9連隊は戦いながら紫禁城に突入した最初の部隊となり、
> そして北京陥落後、連隊が撤収する1901年半ばまでの約丸一年間、
> 第9連隊の歩哨が紫禁城入口(午門~天安門?)の衛兵としてとどまった。
> この事変間の模範的な功績の結果、
> 連隊には"Manchus"「満州人」の名誉称号が与えられ、
> (米国連隊中)最高のトロフィー、Liscum Bowlを獲得し、
> "Keep Up The Fire."(「撃ちてしやまん」?)をモットーとすることになった。

 そして、ここで語られている、「Liscum Bowl」の詳しい由来は、次のページにあります。
  http://www.manchu.org/linage/liscum.htm

 おそらく、「Prince Li Hung Chang」から「満州人」(=第9連隊)に感謝の表現として送られた銀の固まり、としてこに出てくるものが、朝鮮日報では「清王朝から贈られた銀の鉢」に変じてしまっているのでしょう。

 清皇朝が徹底した中央集権で、親王等の権力を極端に制限していたことを考えると、銀の固まりを贈呈する権限のある「Li Hung Chang」という3文字名の「Prince」は誰なのか、疑問が残りますが、、、

 ただ、ヒトラーの山荘の銀器を溶かして作った銀杯の方も、その銀器には、本来の正当な持ち主があったのではないか、という疑問がわいてきます。

 トロフィーには、「戦利品」の意味もありますから、これらこそ、本当の「トロフィー」と言いうるのかもしれませんが、人と解釈によっては、これらも略奪品になるのかもしれません。

 しかし、これらを合衆国本国に移送するというのは、、、

                        では。 》

▼                    (2007/06/03)


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コメント 2

キルドンム

>MUTIさま

 初めまして・・・かな。蘭さんとはネットを通して昔からの知り合いのキルドンムと申します。「いまさら何だ」と思われるかも知れませんが、玉稿中の「Prince Li Hung Chang」は、皇族ではなく明らかに八国聯軍との戦後処理の全権を握っていた李鴻章のことです。正確には当時彼は一等粛毅伯でしたが(薨後、一等侯爵)、それを「Prince」(公爵)ととらえたとしてもおかしくはないでしょう。多分この時の銀塊というのも、彼個人の贈り物というよりこの時の賠償金の一部を指しているのではないかと。
 なお、李氏は1901年の9月27日に交渉にともなう過労のため、亡くなっています。
by キルドンム (2008-12-22 18:52) 

MUTI

キルドンム様

ご指摘ありがとうございます。
こちらこそ、返信をいただいたのに気がつくのが遅れて申し訳ありません。
たしかに、米国人、爵位に対する記述等はいい加減であっておかしくありませんね。
くすぶっていた疑問点が氷解しました。ありがとうございます。
by MUTI (2009-01-21 23:22) 

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