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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第六十六回】 [ノモンハン考]

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第六十六回】

▼《ノモンハンに至る日本の戦車について(概観)》

   『満州・ノモンハンの日本軍は、
      ソ連の機甲化部隊に徹底的にやられた』

が、ノモンハン事件を語るメディアの枕に必ず語られる一説である。
「機甲」とは、ここでは、戦車や装甲車のことを言う。

私は、戦車と装甲車の違いを、片や砲塔を抱き、一方は機関銃で武装しているものだと思っていた。
それと、キャタピラー(覆帯)のあるなしである。
まあ、それはあたらずとも遠からずのようだ^^;

兵器など分からない私が、かように兵器について書くのは因果なものだ。

そもそも、歴史にも疎い私が、歴史について書くのも因果なものだ・・・。

戦争について書きたいと思い、戦争について書き始めたら、戦争とは「世の全て」を包括するものだと知ってしまったが故に、分からないことも懸命に調べて書かなくてはならない・・・。

  (参照)『ノモンハン戦車戦』
    ・・・大日本絵画 マクシム・コロミーエツ著/小松徳仁訳/鈴木邦宏監修

▼日本軍は、確かに、重車両兵器の武装に遅れていた(1920年代より)。

当初は、英仏からの購入に頼っていたが、1930年代初頭から、日本軍部隊に国産車両が支給され始めた。

 ☆以下、各戦車の説明の後の略記は、
       「重」=重量
       「甲」=装甲
       「武」=武装
   と思って頂きたい。
 武装においての
       「銃」=機関銃
       「砲」=砲塔
 また、
       「馬」=馬力
       「速」=速度
       「乗」=乗員
       「距」=一回の給油での航続距離
 である。

▽1931年・・・、八九式中戦車。
これは、イギリス製を改造・改良したものである。

1937年までに、八九式戦車(甲型・乙型)が計230両造られた。
これらは、中国部隊に対しては脅威となり得たが、赤軍相手では無力であった。
性能においては、甲乙ほぼ同レベル(キャブレターエンジンディーゼルエンジンの違い)。
     「重」=14~15t
     「甲」=11~17mm
     「武」「砲」=九〇式57mm砲一門、後に、九七式57mm砲に換装
        「銃」=九一式6.5mm機関銃二挺
     「速」=27~30km/h
     「乗」=4名
     「距」=160~230km

1934年には、日本が独自に開発した94式軽装甲車TKの生産が始まっている。
上記の甲乙編成の師団に組み込まれ、偵察と連絡に活用された。
戦闘能力は、ソ連のT-37A型やT-38型と同レベルであった。
     「重」=3.4t
     「甲」=8~12mm
     「武」「銃」=九一式6.5mm機関銃一挺
     「速」=45km/h
     「馬」=32馬力(ガソリンエンジン)
     「乗」=2名

1937年には、九四式軽装甲車をベースにした九七式軽装甲車テケが量産された。
九四式に比べ、重量・装甲・エンジン・武装と優れている。
テケは偵察戦車としては優れていたという。
     「重」=4.8t
     「甲」=16mm
     「武」「砲」=九四式37mm砲、もしくは、
        「銃」=九七式7.7mm機関銃
     「馬」=65馬力(ディーゼル)

1936年には、日本軍戦車部隊に最も多く普及した九五式軽戦車ハ号が配備された。
これには、満州での戦闘を想定された「北満型」と言う懸架装置強化型がある。
中国戦線で、その性能はフルに発揮されたという。
     「重」=7.4t
     「甲」=6~12mm
     「武」「砲」=九四式37mm砲一門、後に九八式に換装
        「銃」=九一式6.5mm機関銃二挺
     「速」=最大50km/h
     「馬」=120馬力(ディーゼル)
     「乗」=3名

・・・着々と進歩を遂げつつあった。

▼1937年には、三菱重工業が新型中戦車九七式チハの生産を開始した。
これは、ノモンハン時の日本軍最強の戦車であった。
チハは、砲塔にハンドル型アンテナを出した無線装置を装備していた。・・・ハイテクである。
     「重」=14t
     「甲」=20~25mm
     「武」「砲」=九七式57mm砲
        「銃」=二挺
     「乗」=4名

《日本戦車の大半は、ソ連のBT-5快速戦車並みの装甲が施されていたものの(チハはより強力な装甲)、BT戦車に対して武装、視察・標準装置、操作性、機動性の点で劣っていた。》

と、これまで参照してきた『ノモンハン戦車戦』の著者コロミーエツは書いているが、
監修者の鈴木氏は、付記している。

《捕獲したBT-5を日本側でテストしているが、それによれば火砲は勝っているものの操縦性、信頼性は日本戦車のほうが良好であるとしている》

▼これまでも書いてきたし、これからも書くが、日本軍人は、非常に強かった。

戦車戦・・・、その中で、幾つかの条件が出され、その項目において、彼我で優劣が決められた時、
日本軍は、その優越点を武器として、相手と、「プラマイ0」の互角以上の勝負が出来るのである。

では、何故、
   『満州・ノモンハンの日本軍は、
      ソ連の機甲化部隊に徹底的にやられた』
とされたのか?

その途方もない「軍事量」の違いであった。

そして、日本の戦車においての敗北イメージの30%くらいは、司馬遼太郎の有名な戦車演習での経験の公言でもあろう^^;

▼日本軍は、当時、戦車連隊4個と、各師団の編成内に30個ほどの独立軽装甲車中隊を持っていた。
当時、日本軍は2000両の戦車を生産していたが、部隊に配備されていたのは600両ほどであった。
関東軍に配備されていた戦車は、第1戦車団の第3・第4連隊で、約100両の戦車を保持していた。

ノモンハンには、その第1戦車団が投入された(計92台+α)。
  (車種の内訳)
   九四式TK      ・・・15両
   八九式        ・・・34両
   九七式テケ      ・・・ 4両
   九五式ハ号(北満型) ・・・35両
   九七式チハ      ・・・ 4両(初実戦投入!)

▼結果を先に書いておいて、今日は終わる・・・。

   ソ連の戦車の被害・・・800台超。
   日本の戦車の被害・・・ 29台。

▼・・・また、根源的な答えも先に書いておくが、
ノモンハン戦における、日本側の大義は、途中から、国境問題ではなく、ノモンハン戦以前と同じく「防共」に変わっているのだ。
戦車の被害量、それだけを見ても、日本軍が、奇跡的な戦い方をもってして、膨大な「軍事量」のソ連を塞き止めたことが分かろう。

日本は、ノモンハン戦において、実状においても、大義においても、どう考えても圧倒的に勝ったのである。
                        (続く 2007/07/29)


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コメント 3

とろ

はじめまして。
ノモンハン事件についてすごく色々お調べになっていらっしゃるのですね。
私の祖父もノモンハンに行っておりました。
ノモンハンに関する記事を書いたので、TBさせていただきました。
by とろ (2007-08-14 00:35) 

ミッドナイト・蘭

有難うございます^^
今、気づきました^^
返事が送れてすいません。
ここはコメントなど、ほとんどないので、コメントはないものだと思っていました^^;
でも、とろさんのTBがないようなのですが・・・。
by ミッドナイト・蘭 (2007-08-26 11:55) 

とろ

すみませんっっ!
私のブログへご訪問していただきありがとうございました。
TBなんですけど、再度何度か送信させていただいたのですが、
うまくできないようです…。すみません。
もしたくさんTBがおくられているようでしたら、
お手数ですが、削除してください。

もうひとつのブログのほうにTBができるようでしたら、
させていただきますね。
by とろ (2007-08-26 15:45) 

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