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[映画『人間の條件・全6部作』を観た(左翼と右翼と)] [戦争映評]

☆新宿ジョイシネマの閉館に伴い、「さよならフェスティバル」の一環で、『人間の條件・全6部作』マラソン上映が行なわれ、私はいそいそと出かけた。

 午前11時から、午後9時半までの拘束10時間半の長丁場。

 また、私と思考回路の異なる左翼作家・五味川純平の原作の作品でもある。

 が、意外にも、ほとんど飽きることなく、楽しく観て過ごした。

 それは、この作品の、「人間の條件」などと言う高尚なテーマっぽい題名とは裏腹の、その通俗性にあった。

 その説明は、この原作が、お昼のメロドラマ化されていた、と一言書けばご理解され得ると思う。

 先の大戦の渦中の中国大陸・満州で、自分の思う気持ちに真摯に生きようとする男・梶(仲代達矢)の物語だ。

 仲代達矢は、ギョロ目が印象的な役者だが、その爛々と輝く瞳が、物語の進行とともに、次第に輝きを失っていくのがうまかった。

 その冒頭の瞳のギラツキは、最近の阿部寛に似ている。

 阿部寛自身も、それを意識していると思われ、芸風を似せているようにも思われる。

   ◇

 メロドラマチックなのは、その前半で、老虎嶺の炭鉱の労務責任者で重責を担う梶が、妻・美千子との夫婦生活にすれ違うを生じさせるところだろうか、本来のメロにしては変則だが、物語上の社会的現実と、家庭内での理想との齟齬が、観ている者に心地良い欲求を募らせる。

 妻を演じた新珠三千代は、上品で美しかった。

 名前だけ知っているような往年の女優が、その時代を代表するようなおしとやかな性格の範囲で、必死に思いを伝えようとする様がいとおしかった。

 冒頭、召集令状が明日にも来るのが予想され結婚を渋る梶に、「私が欲しくないの?」と上品に、でも、思いつめたように迫る美千子の健気さ。

 白黒の作品は、美人を更に美しく見せる。

 この作品では、名女優がビシバシ出てくる。

 私は、テレビで活躍している麻木久仁子の、峰不二子のような「悪女とマイルドさ」のハイブリッドな雰囲気が大好きなのだが、娼婦のボスを演じた淡島千景は、その「悪女とマイルドさ」の究極の美しさを見せてくれた。

 チャイナ服でキセルを吹かし、その煙を「ふぅー」と吐きながら、相手を見下ろす様なんて、エロ過ぎた。

   ◇

 「特殊工人」と言う、炭鉱で使役する中国人捕虜の管理を梶は任せられ、それに関して、待遇の改善を求める捕虜と、虫けらの如く管理しようとする会社の体制側や憲兵との間に挟まれ、梶は難儀するのだが、その捕虜代表・高と恋仲になる娼婦・有馬稲子もまた美しかった。

 「はねるのトびら」に出ているアブちゃんを美しくした感じ。

 ほくろがエロい。

 彼女の恋は、悲恋となるのだが、そのメロドラマに多くの婦人はうっとりしたことだろう。

 新珠三千代も、淡島千景も、有馬稲子も、名前だけは知っていよう。

 みんな観てみろ!

 昔の女優は、部分的な魅力ではなく、総合的な魅力に溢れているぞ!^^

 ・・・私は最近、吉高由里子という女優が好きなのだが、特に、その目じり、口元、眉、鼻の際が、クイッと上方に吊り上っているところが美しいと思っている。

 これは、メイクの力が大なのであろうが、『人間の條件』に出てくる女優陣のメイクもそうなのである。

 とても気品があるのだ。

 ファッションと言うものはループするから、50年のときを経て、現在とシンクロしているのだろう。

 物語も、50年前の作品なのに、細かい部分まで理解できて面白い。

 そして、雇用不安の現在、『蟹工船』などアカい文学がもてはやされるのも、そのループの一つだろうか・・・。

   ◇

 他に、岸田今日子も出てくる。

 若く、気の強そうな娼婦を好演している。

 娼婦が、物語の各所で多く出てくるが、女が過酷な状況の中で金を稼ぐ道としては、自然なことだったのだろう。

 物語は、左翼的な戦争の中での女の悲劇を描きたいみたいだが、そういった女の姿を描けば描くほど、自然なる女の生き様の描写にいたる。

 メチャ可愛い中村玉緒演じる女学生は、敗残兵に犯される。

 普通の主婦であった高峰秀子演じる女(これまた可愛い)は、生き残るため、そして、寂しさを紛らわすために男と寝る。

 不義は、不道徳であると同時に、究極の性の形を見せてくれる。

 敗残兵たちの流れ着いた家屋で、そこで生き残った女たちと周囲はばからずにまぐわう情景は、曼荼羅のようであった。

 そんな状況を描けたのは、小林正樹の非凡でもあろう。

 ・・・敗戦後のソ連の侵攻は、満州各地を席巻し、おそらく、梶の妻・美千子の末路でもあった。

   ◇

 構成は、簡単に言うと、こんな感じ。

   第一部・炭鉱を舞台にした捕虜待遇改善の戦い

   第二部・既得権益の確保のために梶を追い落とそうとする者たちとの戦い

   第三部・理屈の通らない軍隊階級制度の中での奮闘

   第四部・戦場

   第五部・戦場からの逃避行

   第六部・現実からの逃避

 この作品は、果たして、左翼作品であり、物語で示される「状況(例えば、横暴な会社幹部・憲兵・軍隊システム・古年兵・将校・思想システム・ソ連兵)」は、左翼思想(究極的には共産主義)に都合良く構成されている。

 だから、私であっても、こんな状況ならば、俺でも梶と同じ行動をとるよ、と思わせられる。

 つまり、作中で示される具体的な状況においては、私も共感できるのである。

 しかし、梶が、自分の思想を主張するとき、途端に物語はしらける。

「暴力とは、抑圧された者が、権力に反抗する時だけ肯定されるものだ」

 と、梶が、前後の具体例と脈絡なく言った時は苦笑した。

 その他にも、

「国家? そんなものは滅びてしまえ」

「ソ連はそこまではしない」

 などと、自分のおかれた境遇を、日本を貶める発言につなげ、共産主義礼賛の言葉を吐く。

 しかし、梶の行動は、そんな思想とは裏腹に、常識的な判断で進行して行くので、噛み合わないこと甚だしい。

 物語と思想に圧倒的な食い違いがある。

 現実と言葉の齟齬は、左翼の永遠の負のテーマである。

   ◇

 近年の邦画には見られない迫力の戦闘シーンや、遭難小説を読んでいるようなジャングルのサバイバル行、米の戦争ドラマ『コンバット』的な敗残兵としての逃避行、・・・それぞれが、さすがに映画の各部作のテーマを担っているが故に面白い。

 シドニィ・シェルダンの小説のような通俗的なエンターテイメントになっている。

 バカにしているのではない、感心している。

 それぞれのエピソードにたっぷりと時間と描写を割いているので説得力がある。

 その果てに、梶はソ連の捕虜となってしまう。

 そこでは、比較的待遇の良い元日本軍将校や、ソ連の下級兵士に、捕虜全体が圧迫されている。

 梶は、ソ連の共産主義に希望を抱いている。

 だから、「自分の直面した状況が自分に悪いからといって、共産主義全体が悪いわけじゃない」云々などと寝ぼけたことを抜かす。

 だったら、物語の中で散々っぱら、日本をバカにしているが、何で、日本に対しては、、「自分の直面した状況が自分に悪いからといって、軍国主義全体が悪いわけじゃない」と思わないのか?

 そして、物語上の害悪の全てを、金子信雄(?)演じる元将校に押し付け、

「共産主義で世の中は良くなる。でも、待っていられないんだよ!」

 などと叫んで殺害し、梶は、最後の、美千子のもとへの逃避行に入る。

 おめでたい主張だと思うのは、その後の共産主義の辿る道を知っている現代人だから故だろうか・・・。

 ・・・しかし、やっぱり、物語上の現実は面白い。

 乞食のようになって彷徨う梶の心には、美千子の、夫の帰りを待つ優しい言葉と、バカな夫への嘲笑の声が交互に去来する。

 この辺のリフレインする信頼と懐疑の苦悩の描写が、作り手の良心に感じられ、また、やはり、理想主義との隔たりがあるのだ。

 梶のボロボロの姿が、この頃、アカにかぶれていた宮崎駿の心に残り、後の『母を訪ねて三千里』のマルコの旅の最終局面にいかされたであろうことは確実だと思う。

   ◇

 さて、原作者の五味川純平の作品にしても、司馬遼太郎の一部の著作にしても、軍隊組織の中での悪徳の姿がよく記される。

 そして、保守(≒右翼)は、そんな軍隊内の悪はほんの一部だと主張している。

 そう、先ほどの梶の「自分の直面した状況が自分に悪いからといって、共産主義全体が悪いわけじゃない」の言葉の裏返しのようにだ。

 しかし、長々とは書かないが、私は、保守の内部にも、五味川や司馬の言うように、本当に汚物のような卑劣な人格の野郎どもがいるのを知っている。

 私は、思想は異なるが、梶のように、その点に関しては理想的に、かつ断固とした態度で挑んでいる。

 システムが悪いのなら、システムの破壊さえも行なう。

   ◇

 そもそも、私が、この作品を観ようと思ったのには、この作品には<ノモンハン事件>が描かれると聞いていたからだ、でも、それは、同じ原作者の『戦争と人間』の間違いでした^^;

     ノモンハン.jpg

                                                          (2009/05/26)

[映画『ノモンハン』を観た方の感想] [戦争映評]

☆・・・【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十九回】で書いた左翼監督・渡辺文樹監督の映画『ノモンハン』を観た方が、私のネット掲示板に感想を送ってくれたので、ここに転載する。

 ちなみに、私は保守派の者であるが、コメントをくれた方は、ハンドルネームが示すように左翼の方である^^;

 でも、私の掲示板に精力的に投稿してくれるので、仲良くやっている^^;

 映画は、『天皇伝説』(こちらがメイン扱い)との同時上映で、12月2日に日比谷公会堂で観たとのこと。

   ◇   ◇

     「ノモンハン」ポスター (2).jpg

☆7306 『天皇伝説』を見て <福田恒存をやっつける会会長> 2008/12/03 16:05

 1000人収容の広い1階客席に200にほどの観客。今冬1番の寒さだというのに暖房も入っておらず、寒かった。

 しかも、16mm映写機での映写で、映写機とスクリーンの距離がかなりあったために映写機の光源の光力不足で画面が暗く、夜景などのうすくらい画面では出演者の顔も良く見えないほどだった。16mm映写機での映写は数十名程度の収容力以上の広さの会場では無理だ。

 内容は、ノモンハン出陣の連隊司令官? であった渡辺監督の父とその息子である陸大出身の将校と、昭和天皇の長女成子と結婚し、ノモンハン事件でソ連軍の捕虜になったとされる東久邇盛厚との間の因縁話。

 天皇伝説は、上記ノモンハンの話に、明治天皇が本当の天皇ではない偽者だとか、現天皇は(夢精子症であった)昭和天皇の子ではなくて、三笠宮崇仁の子であるとか、現天皇の次男の秋篠宮は皇后美智子と第三者の子であるとか、元首相橋本竜太郎が現天皇夫妻とややこしい関係があるなどという話が関連して、それに殺人事件がらみで、渡辺司令官の息子である渡辺監督が巻き込まれたという設定の奇想天外なアクションドラマ。

 上記のように画面が暗いばかりでなく、録音の調子が悪い上に、渡辺監督の趣味か、背景音楽がない代わりに、やたらとかなり大きな烈風の音、ヒューッツヒューというような音、が絶えず流れており、しかも出演者のほとんどが素人という事でせりふ回しも下手という事があいまって、私には話の筋の半分も理解できなかった。

 そういうことで天皇伝説の7割程度終わった時点で退席した。途中退席は私一人、入り口に居た渡辺監督の奥さんが退席してきた私を見て驚いていた。

 右翼の妨害は全くなかったが、日比谷公園の帝国ホテル側出口には警察の警備車が数台停まっていて、公安警察官がたむろしていた。

 今後は12月3~9日に都内の会場で上映される予定だそうです。会場に予定表が掲示されてありましたが、お知りになりたければ天皇伝説 渡辺文樹 上映予定などのキーワードで検索すれば、たぶん分かるでしょう。

   ◇   ◇

 ・・・これを読んだだけでは、謎が更に深まるばかりだ。

 どこまでが事実で、どこまでがフィクションなのか?

 渡辺監督の親父は、ノモンハンに本当に関係があるのか?

 関係なかったら、何で、ノモンハンを題材にしたのか?

 もし、渡辺監督の人生が全くノモンハンに関係なかったら、左翼人の渡辺監督は、ノモンハンに、日本を貶めるポイントがあると思ったのか?

 もちろん、そのテキストは、司馬遼太郎や半藤一利辺りだろう、ニントモカントモ^^;

                                              (2008/12/10)

[映画『私は貝になりたい』を観た] [戦争映評]

☆元の映像化はテレビドラマで、私は、20年前くらいに、TBSの開局○周年だかの特別番組で、そのフランキー堺主演版のダイジェストを見た。

 その番組では、筑紫哲也の正統な後継者っぽい関口宏(^^;)が、TBSの社是に沿った左翼的な括りで紹介していたと思う。

 私は、この、やや極端すぎる物語性にアクの強さを感じていたので、今回の映画版をあまり見る気はなかったのだが、ふと、思い立って見てみた。

 主演の中居正広は、顔が全然違うのに、序盤の表情がフランキー堺にそっくりであった^^;

 美術(四国の小さな町、東京の焼け野原など)が素晴らしく、そこにリアリティが宿っているので、物語も引きずられて、いい出来になっていた。

 今回の映画版は、ほとんど左翼臭もなかった。

 まあ、元々、物語のプロットは、戦争の悲劇しか抽出できない。

 この物語に左翼臭を探すような右翼は、『明日への遺言』(←クリック!)に対しても、同様の思いを抱くのだろう。

 世の中の物事が、全て、自分の思想に都合よく進むとは思わないで欲しいものだ。

   ◇   ◇

 私は、主人公の兵隊時代から物語が始まるのかと思いきや、その前の、家族との団欒の時間から、更には回想で、妻(仲間由紀恵)との馴れ初めが描かれるので驚いた。

 つまり、これは、夫婦、小さな家族の物語なのだな・・・。

          私は貝になりたい.jpg

 だから、冤罪で軍事裁判にかけられた夫の経過とともに、妻の助命署名嘆願の困難も描かれたりする。

 この、署名嘆願の雪中の道行きも、「いくらなんでもやりすぎだろ^^;」の一歩手前で踏み止まる演出であった。

 だが、クライマックスの大どんでん返しの悲劇の演出は容赦なかった。

 『フランダースの犬』よろしく、結末に悲劇が待っているのは分かっていたが、こんな「サドンデス」な展開だとは思っていなかった。

 また、久石譲の音楽が、これでもかと盛り上げる。

 この人、『ハウルの動く城』でも思ったけど、ワルツは絶品だね。

 この作品でも、クルクルと運命に翻弄される主人公をワルツ風のBGMでよく表現していた。

   ◇   ◇

 ただ、なあ・・・。

 この物語の主人公だが、どうしても個人主義に思えてしまう。

 いや、最終的に、全体(お国)のレベルに達観せよ、と言ってるのではない。

 死ぬ間際になっても、「私は深い深い海の貝になりたい」などと<自分のこと>だけを考えているのが、どうにもなあ。

 そんな遺言を渡された家族の不愉快さったらない。

 せめて、「私は雲になって、お前らを空からずっと見守っているよ」ってのが、現実的な個人(それでも家族込み)レベルであろう。

 この物語は「創作」なのである。

 原作者は、70年代後半まで生きていて、病死している。

 生きている人間が書いた遺書なのである。

 死にゆく人間ならば、「貝になりたい」なんて、ネガティブなことは言うまい。

 PS.前述の『明日への遺言』と言い、『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』(クリック!)と言い、今年は、巣鴨プリズンのセットを何度も見ることになった。

 いっそのこと、今後は、使い回しをすれば、製作費が安く上がって、東京裁判の欺瞞を打ち破るのに役に立つと思うのだが。

                        (2008/12/09)

[映画『南京の真実・第一部「七人の死刑囚』を観た] [戦争映評]

南京の真実.jpg

☆セシオン杉並に、日本会議主催の上映会、映画『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』を観に行った。

・・・私は、美少女についてばかり語っており、中一の姪っ子の買ったローティーン雑誌を覗いていたら、私にとっては「プレイボーイ」でも見ているかのような楽しさを覚えるし、最近では、派遣労働問題などで共産党の支持をしたりもするが、根本的には保守的な思想系列に属している。

いわゆる「南京大虐殺」は、ここ数十年、日本の保守派が困惑し続けている、反日国家・中国の歴史捏造による問題であった。

あらゆる、日本の戦争犯罪を扱ったメディアがあるが、その一つとして、事実をちゃんと語っているものはない。

全て、そこには、中国共産党やソ連コミンテルンの情報戦謀略的な介在が確認されている。

潜在的に、中国・ソ連と敵対しているアメリカだが、アメリカには、原爆投下・東京大空襲と言う世界史上の大虐殺行為を犯した引け目がある。

だから、捏造の「南京大虐殺」と言う、架空の、敗戦国・日本の悪罪を拵えなくてはならなかったのだ。

中国共産党は、何億人もの人民から搾取した金や、日本からのODAなどを駆使し、軍事費を冗談のようにうなぎ上りにしており、また、情報戦の一環から、人民へ反日教育を植えつけるために、捏造の「南京大虐殺」を繰り返し語り、自国の国定教科書には、天安門事件や文化大革命と言う中国の虐殺の歴史が記されることはなく、もちろん、現在のチベットで行なわれている大虐殺なども語られることなく、ただ、日本の罪悪がひたすらに語られている始末だ。

今年は、(もちろん、妄想なのだが^^;)「南京大虐殺」の70周年なのだそうで、国を挙げて、・・・と言うか、全世界を挙げて、10本近い南京嘘映画が作られる。

それに一矢報いようと作られたのが、『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』である。

チャンネル桜の水島社長が私財を投げ打って手弁当で作った作品だ。

三部作が予定されており、こうして、公開のめども立たない作品を、保守団体や、地方地方の良心的な方の力を借りて公開し、自作へのカンパを募っているそうだ。

     #     #     #     #

映画に先立って、作品の監督であり<チャンネル桜>の社長である水島聡氏と、場所を提供してくれた杉並区の区長の挨拶があった。

二人とも男気が溢れる方であった。

その他にも、保守運動界で有名な方も多く散見された。

私は、悪名高いので、挨拶などは出来よう筈がなく・・・^^;

     #     #     #     #

作品は、東京裁判で裁かれた「A級戦犯(松井のみBC級戦犯)」七人(松井石根、東条英機、広田弘毅、板垣征四郎、土肥原賢二、武藤章、木村兵太郎)の、処刑に至る最後の24時間を丹念に描いた作品である。

最初は、<能>の様式を用い、観念的な映像が続く。

私は、いささか、肩透かしで、あまりいい印象を持たなかった。

しかし、この<能>の様式は、クライマックスで、なかなかの効果を生む。

海外での受けは良いかも知れない。

ただ、観念的なイメージの世界で、男の子と女の子の子役に、能面や夜叉面を被らせるのは、不気味で嫌だった。

     #     #     #     #

私は、こってりと「南京大虐殺」の嘘を暴いていくのかと思ったら、この作品では、ひたすらに「七人」の潔い死に様を描いていくのだった。

途中、陥落直後の南京城内の記録映像が使用されていて、そこは俄然興味深かった。

本来ならば、蔑ろにされてもおかしくない南京住民が、日本軍によって律儀に安全管理されている姿が克明に記録されているのだ。

これは、貴重な東宝の記録映画だそうで、株式会社新日本映画社から販売もされているそうだ。

興味ある方は購入せよ!

     「南京 ~戦線後方記録映画~」
     http://www.history.gr.jp/~nanking/reason18.html

笑顔の南京人民の姿が見れるぞ。

子供たちも、モコモコと肥えていて可愛いんだわ^^

     #     #     #     #

『南京の真実・第一部「七人の死刑囚』は、3時間超の大作で、セシオン杉並の視聴覚室のパイプ椅子は座り心地が良くなかったのだが、飽きることはなかった。

大きな感動で涙を流すこともなかったが、流れるように見てしまった。

考えるに、七人の死刑囚及び、その七人と最後の交流をするお坊さん(三上寛)の演技が見事だったからだろう。

死刑は、七人を二回に分けて行なわれた。

最初の4人、後の3人。

お坊さんは、それぞれに仏に祈らせ(×4人)、お経を唱え、それぞれにぶどう酒を飲ませ(×4人)、お菓子を与え(×4人)、水盃を交わし(×4人)、それぞれと最後の握手を交わし、「天皇陛下万歳」の三唱をする。

そして、留置場から、処刑場へ向かい、その前で再び、別れを交わす(×4人)。

・・・処刑される。

その律儀な描写の数々に、私は、監督の水島氏は、映画の演出が下手なのかと思った。

なぜなら、後半の死刑囚たちの描写は端折られるかと思いきや、先ほどと同じように「×3人」で繰り替えされたのだ^^;

過剰な、意味のない繰り返しだ、と思いそうになった・・・。

しかし、飽きないのだ。

それぞれの死刑囚の、死に赴く態度が、・・・個々の役者の演技が、演じる対象への思い入れたっぷりに、7人7色で火花を散らすのだ。

これは、水島監督、あえてやっているのだな。

そう、思ったとき、この映画の良さが理解できた。

     #     #     #     #

・・・だが、この「第一部」だけでは、到底、問題点を語り尽くしていない。

     「第二部・検証篇(ドキュメント)」
     「第三部・アメリカ篇(劇映画篇)」

は、必ず、作られなくてはならないだろう。

                        (2008/03/16)

[映画『明日への遺言』を観た] [戦争映評]

明日への遺言.jpg

☆私は、『硫黄島からの手紙』を見終えたとき、あのようなふんだんな資金で作った戦争大作洋画に対し、邦画の戦争を語る作品が勝つには「戦争法廷物」しかないと語っていたものだ。

すると、この『明日への遺言』と言う、かなりの傑作が生まれた。

もっとも、東京裁判での東條英機を描いた『プライド』と言う作品が、私の念頭にあったのかもしれない。

『明日への遺言』は傑作ゆえに、その完成度は高く、私が語る余地は少ない。

     #     #     #     #

アメリカの大物量の骨太なテーマの戦争物に勝てるのは、ローコストでまかなえ、脚本力を駆使できる法廷物であり、その私の考える概念は、この『明日への遺言』と言う作品内での、岡田資中将の「法戦」と言う考え方と重なる。

物語について詳しく語るつもりはなく、ただ、「観に行けや!」と思うのだが、「法戦」について説明したく、ちょっと内容を語る。

・・・日本は戦争に負けた。

敗者は勝者に裁かれる。

東京裁判には、もはや、道理は存在しなかった・・・。

しかし、その「敵」だらけの法廷に、道理を復活させようとしたのが岡田資の「法による戦い」だった。

民主主義における裁判は名ばかりで、弁護人も連合軍側(アメリカ人?)、検察も連合軍側(アメリカ人?)、裁判官グループも連合軍側(アメリカ人?)だった。

だが、弁護人は、アメリカ人ながら、道理を通す人物だった。

岡田中将も、自分の思うところを法廷で語ることが出来た。

確かに、岡田司令官の受け持った東海方面軍は、日本全土を無差別爆撃せし米軍機から脱出してきたアメリカ兵を、略式審理の末、死刑に処した。

その段においての、東海方面軍の行為を裁く法廷が舞台となっている。

弁護人は、そもそも、米軍の行為が、無差別爆撃を禁じるハーグ条約に反する国際法違反だ、との線で、岡田との「共闘」を進めていた。

それだからこそ、その捕らえられた米軍機からの捕虜を、切迫した戦時下の情勢の中、死刑に処すという判断を下すことになった、と。

また、各所の法廷から、似たような事例の裁判(石垣島ケース)は、全て、軍関係当事者ほとんどが死刑判決を受けたことを知り、岡田は、自分の周囲の若者の前途を憂い、全責任を自分に引きつけようとした。

ここで、多くの観客は、「ああ、何て立派な人だ」と泣くのだろうが、私は、そんな「当然のこと」では心は動かされない。

責任者であった者が責任を取る。

それは当たり前のことだ。

     #     #     #     #

私が感動したのは、その岡田中将のパーソナリティである。

この人、わりと精神論を語ったりして、古いタイプの人である。

しかし、それが良き方向に作用する性格の人物らしかった。

英語を話せることもあり、「敵」とのコミュニケーションも取れ、また、部下との会話も気さくである。

法廷でも、わりと、誰にでも理解できる言葉で、自分ら東海方面軍の置かれていた状況を語っていく。

情勢を考えると、全ての行動は必然で、だが、結果については、自分が全責任を持つ、と言うのだった。

     #     #     #     #

  (余談)

私は、岡田中将を演じた藤田まことの大ファンであり、『必殺 仕事人』の映画の舞台挨拶の時に、「まことー!!」と客席から叫んだこともあるほどのファンである。

だから、岡田中将が、無差別爆撃を行なった米兵を略式審理の処刑を行なった理由を知っている・・・。

           ・・・仕事人だからである・・・。

     #     #     #     #

(閑話休題)

そういった、至って装飾のない岡田中将の真摯な語り口は、次第に、検察側や裁判官側の、戦犯としての岡田を見る目を変えていく。

その経過が見事だった。

主任弁護士フェザーストンを演じた俳優は、飄々としていて、立ち居振る舞いが洒落者で良かった。

いかにもアメリカ的な正義感に燃えていた主任検察官バーネット役も良かった。

どうあっても、重犯罪人に仕立てたい中将が、自分と似た正義感(日本風)を持っていることに、次第に敬意を表せざるを得なくなっていく様が良かった。

裁判委員長を演じたラップ役も良かった。

この白い肌に赤味が差している男は、酷薄そうなのだが、次第に、中将に対して、いや、中将の気持ちに対して、理解を感じていくのだった。

裁判委員長も、主任検察官も、法廷の言葉ではそれを表せないが、目で語っていた。

素晴らしい演技で、良かったなあ・・・。

     #     #     #     #

私は、何度か涙を流した。

それは、家族との交流のシーンだった。

奥さんを演じた富士純子だが、セリフはほとんどないのだが、裁判のはざ間の岡田に、信頼の笑顔を向け続けていた。

     #     #     #     #

では、岡田中将の語った言葉で、心に残った一つを最後に記す(細部はうろ覚え)。

「ここから話すことは、私の個人的な考え方です。
  私は仏教を信じる者だが、仏教には、十の段階がある。
  畜生道、修羅、人間、そして、菩薩と…、徳が高まっていくのですが、
  (日本を裏切るような)武藤の如き畜生には、
  自らも畜生に落ちて、懲らしめなくてはならない…」

私も、ブログ等で、卑劣な野郎を糾弾するときは、自分が同レベルに堕ちて戦わねばならない時がある・・・。

法廷と言う閉鎖的な空間を舞台にしながら、なんとも、空間的な広がりを感じたのは、この岡田中将の庶民的な常識が日常を感じさせてくれたからだろう。

                      (2008/03/01)
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