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[映画『人間の條件・全6部作』を観た(左翼と右翼と)] [戦争映評]

新宿ジョイシネマの閉館に伴い、「さよならフェスティバル」の一環で、『人間の條件・全6部作』マラソン上映が行なわれ、私はいそいそと出かけた。

 午前11時から、午後9時半までの拘束10時間半の長丁場。

 また、私と思考回路の異なる左翼作家・五味川純平の原作の作品でもある。

 が、意外にも、ほとんど飽きることなく、楽しく観て過ごした。

 それは、この作品の、「人間の條件」などと言う高尚なテーマっぽい題名とは裏腹の、その通俗性にあった。

 その説明は、この原作が、お昼のメロドラマ化されていた、と一言書けばご理解され得ると思う。

 先の大戦の渦中の中国大陸・満州で、自分の思う気持ちに真摯に生きようとする男・梶(仲代達矢)の物語だ。

 仲代達矢は、ギョロ目が印象的な役者だが、その爛々と輝く瞳が、物語の進行とともに、次第に輝きを失っていくのがうまかった。

 その冒頭の瞳のギラツキは、最近の阿部寛に似ている。

 阿部寛自身も、それを意識していると思われ、芸風を似せているようにも思われる。

   ◇

 メロドラマチックなのは、その前半で、老虎嶺の炭鉱の労務責任者で重責を担う梶が、妻・美千子との夫婦生活にすれ違うを生じさせるところだろうか、本来のメロにしては変則だが、物語上の社会的現実と、家庭内での理想との齟齬が、観ている者に心地良い欲求を募らせる。

 妻を演じた新珠三千代は、上品で美しかった。

 名前だけ知っているような往年の女優が、その時代を代表するようなおしとやかな性格の範囲で、必死に思いを伝えようとする様がいとおしかった。

 冒頭、召集令状が明日にも来るのが予想され結婚を渋る梶に、「私が欲しくないの?」と上品に、でも、思いつめたように迫る美千子の健気さ。

 白黒の作品は、美人を更に美しく見せる。

 この作品では、名女優がビシバシ出てくる。

 私は、テレビで活躍している麻木久仁子の、峰不二子のような「悪女とマイルドさ」のハイブリッドな雰囲気が大好きなのだが、娼婦のボスを演じた淡島千景は、その「悪女とマイルドさ」の究極の美しさを見せてくれた。

 チャイナ服でキセルを吹かし、その煙を「ふぅー」と吐きながら、相手を見下ろす様なんて、エロ過ぎた。

   ◇

 「特殊工人」と言う、炭鉱で使役する中国人捕虜の管理を梶は任せられ、それに関して、待遇の改善を求める捕虜と、虫けらの如く管理しようとする会社の体制側や憲兵との間に挟まれ、梶は難儀するのだが、その捕虜代表・高と恋仲になる娼婦・有馬稲子もまた美しかった。

 「はねるのトびら」に出ているアブちゃんを美しくした感じ。

 ほくろがエロい。

 彼女の恋は、悲恋となるのだが、そのメロドラマに多くの婦人はうっとりしたことだろう。

 新珠三千代も、淡島千景も、有馬稲子も、名前だけは知っていよう。

 みんな観てみろ!

 昔の女優は、部分的な魅力ではなく、総合的な魅力に溢れているぞ!^^

 ・・・私は最近、吉高由里子という女優が好きなのだが、特に、その目じり、口元、眉、鼻の際が、クイッと上方に吊り上っているところが美しいと思っている。

 これは、メイクの力が大なのであろうが、『人間の條件』に出てくる女優陣のメイクもそうなのである。

 とても気品があるのだ。

 ファッションと言うものはループするから、50年のときを経て、現在とシンクロしているのだろう。

 物語も、50年前の作品なのに、細かい部分まで理解できて面白い。

 そして、雇用不安の現在、『蟹工船』などアカい文学がもてはやされるのも、そのループの一つだろうか・・・。

   ◇

 他に、岸田今日子も出てくる。

 若く、気の強そうな娼婦を好演している。

 娼婦が、物語の各所で多く出てくるが、女が過酷な状況の中で金を稼ぐ道としては、自然なことだったのだろう。

 物語は、左翼的な戦争の中での女の悲劇を描きたいみたいだが、そういった女の姿を描けば描くほど、自然なる女の生き様の描写にいたる。

 メチャ可愛い中村玉緒演じる女学生は、敗残兵に犯される。

 普通の主婦であった高峰秀子演じる女(これまた可愛い)は、生き残るため、そして、寂しさを紛らわすために男と寝る。

 不義は、不道徳であると同時に、究極の性の形を見せてくれる。

 敗残兵たちの流れ着いた家屋で、そこで生き残った女たちと周囲はばからずにまぐわう情景は、曼荼羅のようであった。

 そんな状況を描けたのは、小林正樹の非凡でもあろう。

 ・・・敗戦後のソ連の侵攻は、満州各地を席巻し、おそらく、梶の妻・美千子の末路でもあった。

   ◇

 構成は、簡単に言うと、こんな感じ。

   第一部・炭鉱を舞台にした捕虜待遇改善の戦い

   第二部・既得権益の確保のために梶を追い落とそうとする者たちとの戦い

   第三部・理屈の通らない軍隊階級制度の中での奮闘

   第四部・戦場

   第五部・戦場からの逃避行

   第六部・現実からの逃避

 この作品は、果たして、左翼作品であり、物語で示される「状況(例えば、横暴な会社幹部・憲兵・軍隊システム・古年兵・将校・思想システム・ソ連兵)」は、左翼思想(究極的には共産主義)に都合良く構成されている。

 だから、私であっても、こんな状況ならば、俺でも梶と同じ行動をとるよ、と思わせられる。

 つまり、作中で示される具体的な状況においては、私も共感できるのである。

 しかし、梶が、自分の思想を主張するとき、途端に物語はしらける。

「暴力とは、抑圧された者が、権力に反抗する時だけ肯定されるものだ」

 と、梶が、前後の具体例と脈絡なく言った時は苦笑した。

 その他にも、

「国家? そんなものは滅びてしまえ」

「ソ連はそこまではしない」

 などと、自分のおかれた境遇を、日本を貶める発言につなげ、共産主義礼賛の言葉を吐く。

 しかし、梶の行動は、そんな思想とは裏腹に、常識的な判断で進行して行くので、噛み合わないこと甚だしい。

 物語と思想に圧倒的な食い違いがある。

 現実と言葉の齟齬は、左翼の永遠の負のテーマである。

   ◇

 近年の邦画には見られない迫力の戦闘シーンや、遭難小説を読んでいるようなジャングルのサバイバル行、米の戦争ドラマ『コンバット』的な敗残兵としての逃避行、・・・それぞれが、さすがに映画の各部作のテーマを担っているが故に面白い。

 シドニィ・シェルダンの小説のような通俗的なエンターテイメントになっている。

 バカにしているのではない、感心している。

 それぞれのエピソードにたっぷりと時間と描写を割いているので説得力がある。

 その果てに、梶はソ連の捕虜となってしまう。

 そこでは、比較的待遇の良い元日本軍将校や、ソ連の下級兵士に、捕虜全体が圧迫されている。

 梶は、ソ連の共産主義に希望を抱いている。

 だから、「自分の直面した状況が自分に悪いからといって、共産主義全体が悪いわけじゃない」云々などと寝ぼけたことを抜かす。

 だったら、物語の中で散々っぱら、日本をバカにしているが、何で、日本に対しては、、「自分の直面した状況が自分に悪いからといって、軍国主義全体が悪いわけじゃない」と思わないのか?

 そして、物語上の害悪の全てを、金子信雄(?)演じる元将校に押し付け、

「共産主義で世の中は良くなる。でも、待っていられないんだよ!」

 などと叫んで殺害し、梶は、最後の、美千子のもとへの逃避行に入る。

 おめでたい主張だと思うのは、その後の共産主義の辿る道を知っている現代人だから故だろうか・・・。

 ・・・しかし、やっぱり、物語上の現実は面白い。

 乞食のようになって彷徨う梶の心には、美千子の、夫の帰りを待つ優しい言葉と、バカな夫への嘲笑の声が交互に去来する。

 この辺のリフレインする信頼と懐疑の苦悩の描写が、作り手の良心に感じられ、また、やはり、理想主義との隔たりがあるのだ。

 梶のボロボロの姿が、この頃、アカにかぶれていた宮崎駿の心に残り、後の『母を訪ねて三千里』のマルコの旅の最終局面にいかされたであろうことは確実だと思う。

   ◇

 さて、原作者の五味川純平の作品にしても、司馬遼太郎の一部の著作にしても、軍隊組織の中での悪徳の姿がよく記される。

 そして、保守(≒右翼)は、そんな軍隊内の悪はほんの一部だと主張している。

 そう、先ほどの梶の「自分の直面した状況が自分に悪いからといって、共産主義全体が悪いわけじゃない」の言葉の裏返しのようにだ。

 しかし、長々とは書かないが、私は、保守の内部にも、五味川や司馬の言うように、本当に汚物のような卑劣な人格の野郎どもがいるのを知っている。

 私は、思想は異なるが、梶のように、その点に関しては理想的に、かつ断固とした態度で挑んでいる。

 システムが悪いのなら、システムの破壊さえも行なう。

   ◇

 そもそも、私が、この作品を観ようと思ったのには、この作品には<ノモンハン事件>が描かれると聞いていたからだ、でも、それは、同じ原作者の『戦争と人間』の間違いでした^^;

     ノモンハン.jpg

                                                          (2009/05/26)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第百七回】 [ノモンハン考]

☆いま、以下の本を読んでいます。

     090513_190335[1] (2).jpg
       『高射砲戦記 [ノモンハン事件] (田中新三郎著・南北書園発行)』

 昭和17年の発行です。

 兵頭二十八軍師の講演の後に、横浜の<軍学堂>古書店で買いました。

 感想は近日。

 ・・・高射砲の弾丸は、敵機を撃破しまくるのである。

 ・・・では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第四十一柱 陸軍中尉 <原田 浩>

    「昏睡状態の電話連絡」

 とうとう敵陣地を占領した。

 それまでの苦戦難戦は語るも愚かである。奪取した敵の壕内には、敵の屍骸に交つて、部隊長馬場少佐が、胸部貫通銃創の痛手に、昏々として横たはつてゐる。そのそばに、原田浩中尉が昏睡状態に陥つてゐる。

 やや離れた壕の突角には、占領をものがたる日章旗がはためいてゐるが、その下には少数の兵士が護つてゐる。

 重砲弾は頭の上を、その日章旗の上を、ひつきりなしに飛びちがつて、もの凄い音とうねりを立ててゐる。

 敵の威声が聞える。

 原田中尉が昏睡からさめた。と   

「この状態を本部に報告しなければならぬ」

 咄嗟に思ひついてそばにある電話機を取つた。

「隊本部……」 きれぎれな言葉、高まり低まる声、

「第一線は取れた。しかし……すぐ前は敵だ」 ややもすると、手足がしびれたやうになつて、顔が茫としてそのまま打伏さうとする、目を見張つて、息をのみこんで力を入れる。

「日の丸を目標に……目標にうつてくれ。俺達は弾丸をかぶつてもいい」

 切れ切れに押出すやうな声は、荒い呼吸に変る。

 遥か隊本部で受話器を握つた河添中尉は、その声と呼吸で、原田中尉の重傷を知つた。

「日の丸を目標に」といひ「俺達は弾丸をかぶつてもいい」といふ中尉の心根を思ふと胸の中がいつぱいになつた。

 直に後続部隊が出動して来た。そして附近一帯は確保された。

 これも人間業とも思はれない原田中尉の電話連絡の殊勲からであつた。

   ◇

 ここで言われる「日の丸を目標に」の日章旗は、いわゆる「軍旗」とは異なるのだろうか?

 軍旗は「旭日旗」で、目印としては「日章旗」が用いられたのか?

                                                 (2009/05/13)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第百六回】 [ノモンハン考]

☆久々の更新ですいません^^;

 「ノロ高地」について資料を読んでいたら、その多量の情報に混乱してきて、スランプに陥ってました。

 とりあえず、70年前の今月、ノモンハン事件は始まっています。

 ともかく、書けることを書きます。

 ・・・では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第四十柱 陸軍中尉 <畠中 三次郎>

    「一心協力爆弾自動貨車を動かす」

 機銃弾、手榴弾を満載した自動貨車が第一線に向つて走つて行く弾丸補給の重大任務を帯びて、それに乗つてゐるのは畠中中尉と、操縦手の迫一等兵である。

 由来危険なことの形容に「爆弾を抱いて走る」といふ言葉があるが、これは形容ではない、文字通り正に爆弾と共に往くのである。しかも敵弾雨飛の間を縫つて往くのである。もし一弾がそれを掠めたら、全弾が一度に火を吐いて、トラツクもろともふつとんでしまふにきまつてゐる。だから戦場でのこの役は、危険中の危険、決死中の決死の仕事なのである。草原の間、あちこちに散在する凹地を巧みに避けて、自動貨車はハルハ河畔近づいていつた。

「敵に見つかつたらしいぞ」

 敵弾が次第に近くへ落ちてきたのである。

 一等兵はわざと速力を出したり、右に左にうねつたりくねつたりしながら、進んでいつた。敵弾は進んでゆくうしろへと落ちた。

 中尉は前方からじつと目を離さない。そこには硝煙が暗く天を覆うて撒き上がつてゐる。戦は酷だ。

「前線ではどんなに我々を待つてゐるだらう」 中尉は思はずつぶやいた。心は矢竹にはやるが、この悪路と、この敵弾をどうしよう。と、考えてゐる時車は凹地の湿地の中へ落ち込んだ。車体は一寸動きさうにもない。

 中尉はひらりととびおりたが、ヅカヅカと凹地の湿地の中へはいり込んで、車体に手をかけた。

 一等兵の操縦に呼応して、中尉はあらん限りの力をふるつて車を押した。たつた二人でも、一心は恐しい、協力は尊い。トラツクはゆらゆらとゆらぎ出して、とうとう凹地から抜け出たのである。勇躍トラツクへとび乗つた中尉の姿はまるで泥人形である。

 再びトラツクが勢ひよく走り出したが、やがて突然   中尉はうしろへのけぞつた。

 一等兵がふりかへつて見ると、胸から鮮血がふき出してゐる。肩に手をかけると、かすかな声が唇から洩れてきた。

「本望……本望」 途端に声が声が絶えたのである。

 一等兵は中尉の無事を念じつつ。再びハンドルを握ると、車は弾丸と、重傷の中尉を乗せて走り出した。

 一日千秋の思ひで待つてゐた第一線では、重傷の中尉の姿に熱き感激の涙をそそぐと同時に欣喜雀躍、暴戻ソ軍撃退へと邁進したのだつた。

   ◇   ◇   ◇

 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『恐怖の報酬』を思い出さされる、今回の戦記でした。

                                                       (2009/05/12)
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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第百五回】 [ノモンハン考]

☆・・・では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第三十八柱 山縣部隊 <飯田小隊>

    「短剣にて敵中に突入」

 八月二十四日以来、要衝「ノロ高地」を占領中だつた大隊は、いつのまにか、敵狙撃兵二個師団、戦車装甲車数百両の大軍に包囲され、孤立に陥つてしまつた。

 この時、中隊指揮班東方四百米の地点死守を命ぜられたのは、飯田機関銃小隊であつた。

 越えて八月二十六日    兵たちが一升瓶と呼んでゐる十五糎榴弾を初め各種の敵砲弾は、相変らず雨霞と降り注いでゐる。その中で監視中だった一射手は、ふと、糧秣運搬の敵自動車一両が、我が陣地前を進行してゐるのを発見した。

 その報告をうけた飯田小隊長は、部下を指揮して敵自動車ができるだけ近距離に近づくまで待機せしめ、陣地前約六十米まで進んできた時、

「射て!」 号令一下、部下は忽ち敵自動車に向つて強襲火を浴びせかけた。

 不意を喰つた敵運転手及び乗員十五名は、見る間にバタバタと倒れ、全滅してしまつた。

 と、間もなく、今度は地形偵察の敵軽装甲車が一両現はれ、前に叩きのめされた自動車と乗員を発見、その死体を収容しようと敵兵が下車したところを、これまた猛射を送つたので、慌てふためいた敵は二名の死傷者をうち棄てて闘争してしまつた。

 翌二十七日の未明、敵はまたまた重戦車六両、狙撃兵約二百名を以つて、小隊の陣地に逆襲してきた。

 隊長は部下に命じて、なるべく味方の陣地を敵にさとられないやうにして待機せしめたが、敵は小隊陣地に向つて、盛んに重砲、戦車砲、機関銃の集中火をあびせ、大膽にも二十米の地点まで迫つてきた。

 この時、戦車の後方にあつたソ軍自慢の狙撃兵約百五十名が、突如、手榴弾を投げながら、

「ウラー、ウラー!」と喊声をあげて突撃してきた。

 が、突撃は皇軍が本家だ。われもまた手榴弾を提げて勇躍応戦、ここに凄じい手榴弾戦が展開された。

 炸裂また炸裂・・・・・・我が方にも敵手榴弾に倒れる者があつたが、敵は更に多数を倒され、初めの勢ひはどこへやら、多数の兵器と死体を棄てて敗退してしまつた。

 残員わづか九名の小隊は、全くの苦戦に陥り、今は全滅を覚悟するほかなくなつた。

「全滅を期して突撃ツ!」

 飯田小隊長は、悲壮な号令を下し、自ら真っ先に白刃を揮つて敵中に突入した。全員も右手に帯剣をひき抜き、左手に手榴弾を握つて、ワーツとばかり突つ込んだ。

 中にも、加藤美利太郎上等兵をはじめ二名の兵は、大胆不敵にも敵の背後に廻りこみ、阿修羅の如く短剣をふり廻して、当るを幸ひ斬りまくつた。

 その気迫に圧倒されたか、さしもの敵兵もつひに多数の兵器、死体を遺棄して潰走してしまつた。

 が、加藤上等兵は、側面から集中した戦車砲弾のために、つひに壮烈な戦死を遂げた。

「加藤、・・・・・・見ろ、敵は撃退されたぞ!」

 奇跡的に生き残つた隊長初め戦友たちは、倒れた部下戦友を抱き起して、涙の報告をしたのであつた。

 わづか九名の機関銃小隊が、白兵戦に於てかくも大殊勲をたてた勇猛さ    これこそ皇軍の真髄を発揮したものである。

   ◇   ◇

 パワフルな描写は赤字にしてみました。

 「ノロ高地」と「山縣部隊」については、次回に書きます。

 現在の常識で考えると、戦争における「過酷」な状況を赤字にして強調するなど、不謹慎なように思う方もいるかもしれないが、戦争について自らの体験として考えたり、こうして、先頭記述の「写経」の如き行いをしていると、次第に自分の中に、実体験をした軍人たちの、数パーセントに過ぎないのだろうが、その思いが理解できてくるのだ。

 「戦争」を悲惨事ではなく、「勝負ごと」とさえ感じていた時代の空気を得られたとき、

 私は、「短剣をふり廻して、当るを幸ひ斬りまくつた」などという表現に快哉を叫ぶのだ。

 軍人は、「少年ジャンプ」のバトルマンガのヒーローの如き扱いをされていた時代なのである。

                                                (2009/02/27)
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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第百四回】 [ノモンハン考]

☆・・・では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第三十七柱 陸軍上等兵 <石尾 眞人>

    「進んで難局を志願」

「伝令!」 「はツ」

 中隊長の声に応じて、すぐさま飛び出すのは、いつも石尾一等兵だつた。

「うむ、では御苦労だが・・・・・・前面の敵、先刻来戦車三両、狙撃兵数百をもつて南方高地に向つて進出の模様あり、以上小隊長に伝令!」 復唱するや否や、石尾一等兵は敢然と稜線の上へとびだした。とたんに、敵戦車の機関銃が猛烈に火をふいて、石尾一等兵のあとを追つてゆく。

「うむ、元気な奴ぢやなあ、弾丸に当らないやうに」

 中隊長は頼もしげにその後姿を見送りながら祈るのだつた。

 それは七月五日、我が全線に亙つて総攻撃が開始され、敵はもうあと一押しでハルハ河の彼方に追ひはらはれるといふ時である。中隊は約八百米の前方に敵陣を睨んで猛攻してゐたが、敵の勢はつねに変化するので、右方の小隊との連絡が何より重要だつた。

 だが、戦車数両をもつて陣地を固めた敵は、稜線の上に一人でも姿を出せば、忽ち機関銃の集中射撃を浴せてくるので、その連絡の任務は九死に一生を覚悟せねばならぬ決死の難事だつた。

 しかも、石尾一等兵はいつも自ら進んで伝令を志願し、許されれば大喜びで敵弾集中地帯にとびだし、敏速かつ確実に任務を果たすのである。

 その昔、戦場に馳驅して矢叫びに胸をどらせた祖父の血が、若い石尾一等兵の全身に今なほ脈うつてゐるのでもあらうか、戦場に来てからの彼は元気百倍したかの如く、どんな困難な仕事にも飛びつくやうに働くので、戦友たちはみんな舌を捲いてゐたのである。

 敵の弾丸もこの元気者は避けて通るかのやうだつた。

 ところが、その翌六日、中隊が長驅して敵の左側背を衝いた時、石尾一等兵も中隊長側で次々と敵を射殺してゐたが、十三時ごろ、つひに敵弾を頭部にうけて、壮烈な戦死をとげたのであつた。

   ◇   ◇

                                         (2009/02/08)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第百三回】 [ノモンハン考]

☆数ヶ月前に買った本で、買ったまま忘れていたのだが、部屋から「発掘」されたので読んだ。

          090206_182603[1] (2).jpg
             『戦前の日本 (武田和弘著・彩図社)』

 いかにも「戦後(日教組教育下)」の語彙が使われているが、コラム風に軽快に書かれた文章で、とても読みやすく、私にとっては勉強になった。

 ノモンハン絡みでは、往年の名投手スタルヒンが、ノモンハン事件の勃発の後に「須田博」と改名させられたことや、

 明治の末期に起こった「株ブーム」は、南満州鉄道株の熱狂にはじまったことなどがさりげなく記されていて面白かった。

 また、昭和一桁時の「貿易摩擦」で、イギリスの圧力で、インドへの紡績輸出市場から締め出された日本が、満州経営に力を入れていくことが、先の大戦の遠因になったことも書かれていた。

 ・・・では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第三十六柱 陸軍上等兵 <池田 兼行>

    「死ぬまで防毒面を握る」

「かうなつたからには白兵戦だ。みんな敵の近づくのを待てツ!」

 陣之内上等兵が怒鳴つたので、池田一等兵も、じつと敵の接近するのを待つた。

 その日早朝からの激戦で、絶え間ない砲煙に覆はれながら、池田一等兵等の小隊は最後まで頑強に戦つてゐたが、ふと気がつくと、いつの間にか、池田一等兵等七名は小隊の主力から離れて、数十倍の敵の真只中にはまり込んでしまつてゐたのだ。

 我が方を寡勢と見た敵は、図にのつて銃火を浴せながら、ジリジリと包囲網をちぢめてきた。もうかうなつたら、白兵戦で行くよりほかなかつたのである。

「いいか、小隊の主力の方向に向つて行くんだぞ!」 また、陣之内上等兵が叫んだ。

「よし来たツ!」

 六人の戦友が答へる。

 ひつきりなしに射つてくる敵の小銃弾は七人の目の前に、パツパツと小さな砂煙をあげた。六人は銃剣を握つたまま、豹のやうに身構へてゐた。

 突然、池田一等兵が、

「やられたツ」

 と叫んで、ドウと倒れた。

 ハツとして六人の戦友が振返ると、池田一等兵は血潮を吹きながら、

「お、お、おれは、もう駄目だ。みんなしつかりやつてくれ!」

「そんな弱いことを云ふな。もう少しだから頑張れ

 すると、池田一等兵は、苦しげに身もだえしながらも、咄嗟に防毒面を肩からはづして、陣之内上等兵に渡しながら、

「こ、これを、埋めてくれ」

「た、たのむぞ・・・・・・おい、みんな・・・・・・永いあひだ世話になつた。有難う。・・・・・・、みんな、うまく部隊に帰つてくれよ・・・・・・成功を、祈るぞ」 云ひながら、呼吸は次第に細くなつて行つた。

 臨終の際まで、防毒面を敵に渡すまいと念じ、戦友の無事脱出を祈るその床しい心根に、戦友たちは思はずグツと胸を衝かれて、涙ぐんでしまつた。

   ◇   ◇

 ・・・なぜ、防毒マスクを必要としたかは、後日、記すことになりましょう。

                                                      (2009/02/06)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第百ニ回】 [ノモンハン考]

☆文中に「糧秣自動車」と言うものが出てくるが、私は、その「糧秣」の意味がわからなかった。

 <兵員の食糧と軍馬のまぐさ>だそうだ。

 つまり、食糧運搬車のことらしい。

  ◇   ◇

 第三十五柱 陸軍上等兵 <井前 正雄>

    「戦車もろとも散華」

「分隊長殿、戦車六両、糧秣自動車三両、前方百米を右から左へ・・・・・・」

 低い声だが、もう殺気に充ちてゐる、射手の井前一等兵である。二十時と云つてもこの蒙古の大草原ではまだ暮れかけといふ明るさだつた。

「よし、糧秣自動車を覘へ」

「はつ・・・・・・」 けたたましく一連発射し終ると、そのままサツと頭をひつこめた。

 たしかに手応へがあつた。がもう一連発しようと手早く装填して、覘ひをつけると、敵は何と思つたか、傷ついた一両を残して、全速力で逃げ始めた。

「なんのこつた、臆病者め」 張合ひぬけがした井前一等兵は、

「分隊長殿、ちよつと御馳走を分捕つてきますよ」と銃座を離れた。

「よせよ、危いぞ」 「なーに、大丈夫です」

 ソロリと壕から匐ひだした一等兵は、すばしくこく草の深い凹地つたひ、夕闇にまぎれて敵自動車の方へ近寄つて行つた。

 見ると、敵兵が二人、しきりに車体の故障を点検してゐる。

 豪胆な井前一等兵は、腰の短剣を引抜くと見る間に、いきなり飛びかかつてグツと一突き。それを引抜きざま、他の一人を横なぐりに殴りつけ、ひるむところを又一突き・・・・・・アツといふ間もない早業である。

 そこへ一人の戦友が心配して駈けつけたのを見ると、

「さあ、持てるだけ持つてくれ」と、パン、野菜、缶詰、砂糖などをポケツト両手に一ぱいかかへて、ニコニコしながら引揚げてきた。

「オーイ、食物ができたぞツ!」

 丁度現在地に来て二日間になるので食ふ物に気を配つてゐた激戦中のこととて、戦友たちは大喜び、たらふく食つて勇気百倍その勢ひでつひに敵を撃退してしまつた。

 ところが、その後まもなく、敵は口惜しまぎれに十数両の戦車をつらねて、復讐にやつてきた。

「何ツ、そんなものが怖いか!」

 機関銃では手ぬるしと見た井前一等兵は、単身、戦車地雷を二つかかへて飛出し、荒れ廻る一両の戦車にとびついた。

 轟然たる爆音! 敵戦車は見事粉砕された。が、同時に、井前一等兵の体も粉々に吹きとばされ名誉の戦死を遂げ国境守護神と化したのだつた。

   ◇   ◇

 一連の「ノモンハン美談」を読んでいくと、タイトルの人物の階級が、文章中のものより、上位になっていることが多い。

 戦死による「階級特進」なのだろう。

 上記の引用では、突然の死でショッキングだが、井前上等兵には陽性が感じられ、私のイメージとしては、『封神演義』で死んだ仙人が封神台にピューンと飛んで行くように、亡くなった井前上等兵が、ピューンと靖国神社に飛んで行ったかの様な思いがよぎるのである・・・。

                                              (2009/02/05)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第百一回】 [ノモンハン考]

☆月曜日は仕事が忙しいのだけども、「第百回」で<高射砲>について書き、その、ノモンハンにおいて使用された<高射砲>がどのようなものか分かったので、その写真だけでも転載しておく。

 私がよく引用する『ノモンハン戦車戦(マクシム・コロミーエツ著/大日本絵画)』をパラパラと眺めていたら発見できた。

   高射砲.jpg

 「九八式20mm高射機関砲」だそうだ。

 う~む、しかし、これでは、あまりにもイメージが違う・・・。

 小振りすぎる。

 これでは、機関銃に毛が生えた程度ではないか。

 とうてい、戦車は撃ち抜けまいぞ。

 でも、キャプションで、「ノモンハン戦では、対戦車砲として使用された」とあるんだよなあ・・・。

                       (この項、続く 2009/01/26)

[軍学者・兵頭二十八の講演会のお知らせ] [お知らせ]

☆私は、戦争の知識などないのだが、このブログでは、今年70周年を迎える<ノモンハン事件>についてブログで語り続けている。

 いや、私、本当に戦争知識がないのです^^;

 無知な上に、仕入れた知識も、そのままダダ漏れして忘れてしまいます^^;

 でも、その関係で、日本で唯一の軍学者・兵頭二十八氏の門弟達に、忘年会などのお誘いを受けたりして、フグ屋で縮こまったりしています^^;

 その兵頭二十八軍師が、3月7日、横浜で講演されるので、ここを使ってお知らせさせて頂きます^^

   =====================================

  【兵頭二十八氏講演会「顕在化する日本の危機」】

 *内容
  「自然権としての国防」を放棄し、
   「非戦は美徳」の呪いに絡め取られる日本人...。
   「軍学者」がその謎を解き明かし、これを打破する策を論ずる。


 *以下、ポスター

 http://www15.ocn.ne.jp/~gungaku/hyoudou-poster.pdf

 *兵頭氏による講演会副題

 <田母神論文騒動で日本の核武装はもはや絶望的になった今、
          敢えて卑見を陳してわが一億同胞に訴ふる講演>
 <あらゆる面で“脱トヨタ時代”に突入せざるをえない日本
                その改造計画もついでに語る講演>
 <間接侵略の手先となった政治屋たちとの闘争は、
                    自衛官の本来任務である>


 *主催

  軍学堂(http://www15.ocn.ne.jp/~gungaku/

 *日時:2009年3月7日(土)15〜17時

 *場所:かながわ県民センター
 (http://www.juki85.org/Yokohama/parts/KanagawaKenminCenterMap.html)

 *料金:2,000円 ※前払いです。申込後、送金先の銀行口座をお知らせします。

 *申込:こちらからどうぞ。定員に達し次第、終了します。
  http://www.formpro.jp/form.php?fid=38906

 *おまけ 過去の講演のサンプル
  http://jp.youtube.com/watch?v=t7FFYsytvEo

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 この方の主張は、クール且つ突き抜けているので、目からウロコの講演会になることうけあいです^^

 是非、皆さん、お誘い合わせの上、ご参集あれ!!

 ところで、主催は、戦争絡みの古書を扱うお店だそうですが、おそらく、こと<ノモンハン事件>においては私のほうがたくさんの本を所有していることでしょう^^

   ◇

 私は今、以下のマンガ『ゼロセン (加瀬あつし著)』の新刊コミックスが出たら、楽しんで読んでいる^^;

   ゼロセン②.jpg ゼロセン①.jpg

 内容は、バリバリの帝国軍人が、北方の戦場で、現代まで冷凍保存されていて、蘇生後、中学の教師になるという話である。

 帝国軍人であるが、女に脆く、結構エロいのだが、その強さと、筋を通そうとする姿に、生徒は感化され、読んでいる私もホロリとさせられる。

 欠点としては、言葉の「ダジャレ下ネタ」が多いのが、ちょっと嫌かなぁ^^;

                                               (2009/01/23)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第百回】 [ノモンハン考]

☆昭和59年の中央公論の増刊『歴史と人物』は、特集でノモンハンに詳しい。

 ノモンハンでは、日本の以前以後に例のない大砲兵戦が行なわれたのだが、

 伊藤桂一氏がエッセイの中で、こう述べていた。

   
≪・・・対戦車戦については、速射砲のほか、連隊砲もよく戦って戦火を挙げている。高射砲は水平射撃をすると高射砲としての機能が駄目になるのだが、敵戦車があまりにも多いので、遂には対戦車砲としてこれを使用したが、長い砲身、扱いにくい操作ながら、やはり多くの戦火を挙げた、ときかされたことがある。思う念力戦車を貫く、というところかもしれない。自動砲も秀れた能力を発揮したようだが、私は寡聞にして、自動砲そのものも、戦火のほども分からない。・・・≫


 私は、何度聞いても、この砲の種類について覚えられない^^;

 今回は、ちょいと「高射砲」というものが気になった。

 <Wikipedia>によると、こうある。

   
≪・・・高射砲(こうしゃほう)は、敵航空機の攻撃から自軍を護るために作られた火砲。普仏戦争で敵の弾着観測気球を狙い撃つため、プロイセン軍が用いた軽量砲架の小口径砲がその祖形[1]である。  1912年にドイツが野砲を改造して使用したのが近代的高射砲の始まりである。主に第二次世界大戦において高々度から侵入する連合軍の戦略爆撃機から軍事施設あるいは人口密集地の都市を守るためにドイツ軍は対空射撃管制装置ウルツブルク・レーダーと高射砲を組み合わせ有効な防空戦を展開した。  野戦において陣地あるいは装甲車両等の戦術目標を中・低空から攻撃する戦術爆撃機、急降下爆撃機に対しては高射砲ほどの大きな射高を必要とせず効果的に弾幕の張れる機関砲が利用された。  帝国陸軍では高射砲、帝国海軍では高角砲(こうかくほう)と呼んだ。また、最近は高々度を飛行する敵機を撃墜するには対空ミサイルが使用され、旧来の「高射砲」が出番を失ったためか、比較的低空で地上攻撃する敵機に対する砲を「高射砲」ではなく、「対空砲」と呼ぶことも多い。しかし「高射砲」「高角砲」「対空砲」はいずれも英語では同じ Anti-aircraft gun(対航空機砲、略称でAAG)であり、日本語訳におけるニュアンスの差でしかなく、基本的に同義である。・・・≫


 ノモンハンでは、この高射砲を、水平に使う局面があった訳だ。

   ◇

 くだんの『歴史と人物』を読み進めていくと、

     [体験手記 「高射砲でソ連戦車を撃つ」
               大原秀二(関東軍第六野戦高射砲隊長・当時陸軍砲兵大尉)]

 という、そのものズバリを記す記事があった。

 これによると、こんな一文がある。

   
≪・・・富田中尉、稲葉少尉らがかけ寄り、「八月二十日午後右後方から敵戦車が歩兵を伴って向って来た。この方向は放列より低いので反対脚を高め俯角射撃できるよう砲口前の積土も削り、先頭三両が全高を現わす五百から千メートルに来るのを待って、信管一~二秒の級梯射を浴びせた。弾は戦車の腹下で炸裂、黒煙を上げ、敵は慌てて逃げていった」と報告する。彼らの顔の輝きは今も忘れない。・・・≫


 ふ~む。

 私が気になるのは、その高射砲の貫通能力である。

 この手記を全文読んでも、そのスペックが記されてないんだよなあ。

 ・・・う~ん、私が気にしているのは、旧日本軍の砲弾は、敵の装甲に阻まれたとよく言われるが、果たして、現在の現地のロシアの戦車の残骸を見ると、穴がボコボコ空いているのが見て取れるという。

 私は、その穴が、高射砲という対戦車のイレギュラー砲で空いたものではないと考えたいのだ。

 つまり、通常の火砲で、敵さんの戦車装甲を貫いたものであって欲しいのだ。

 まあ、杞憂なんだけど・・・。

   ◇

     090113_215013[1] (3).jpg

 ところで、上の写真右の、松本零士の<戦場漫画シリーズ>を読んでいたら、正に、高射砲で戦車を撃つシーンがあったので見てください。

     090113_215225[1] (2).jpg
       「零距離射撃88」の回より。

 日本製の88㍉砲だそうですが、調べると、日本には、近い数値では、九九式八糎高射砲しかないぞえ・・・。

                                                        (2009/01/13)

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